引用 P90
身内の病気などを心配して、自分の心を痛めている人も多いでしょう。心配することによって身内の病気が治るのならば、いくらでも心配すれば良いのですが、実際は自分の健康をも損なう難題を増やすだけです。
(中略)
いい年をした子どもが心を病んでいる場合、親はともに将来を悲観するのではなく、子どもへの思いやりを持ちながら「親自身の人生を楽しみ、元気に生きる」ほうが子どものためになります。苦しんでいる子どもも、親が元気ならば口では非難をしても、心の奥では安心感を持つものです。
元気な人は、周りの人を改善させることができます。
私も含めて、心配性な人というのは常に未来を生きているんですよね。あと後悔ばかりしている人は過去ばかりを生きている。どちらにしても「今を生きる」ということができていない。地に足が付いていない人生になっちゃうんですよね。
月に一度コーチングを受けているのですが、今回の震災後クライアントの中で、恐怖心が強くなってしまった人、被災地の方に同情し過ぎて共感を通り越して自身が病みそうになった人、実際に被災したわけではないのにPTSD状態になっている人もいたようです。特に繰り返しテレビがショッキングな映像を映していたので、見続けた人の精神状態が悪くなったようです。
それでコーチがコーチングして、最悪の場合を想像してもらったら、「最悪、死んでしまうね」という結論になり、死ぬまでの期間にやりたいことを目標設定したら落ち着いたクライアントさんがいたそうです。
最悪を想定すると「最悪でもこんなもんか」とか「最悪までは至らないだろう」という安心感が出てくるみたい。「最悪を想定するのが怖いから考えないようにしている」という人は、明確にならない分、必要以上に大きい不安のイメージを持つので、もっと辛いんじゃないかなと思っています。想定しちゃえばいいのにね。